「百合祭」(浜野佐知監督作品)

高齢の女性たちだけが住むアパートが舞台。そのうちの一人が突然死するところから始まる。まだ、なにも展開していないのに吉川和子のアップがなぜか涙を誘う。 そのアパートにたまたま越してきた高齢の男性の正体がエロ爺でアパートの住民を片っ端から口説き落としてものにしてしまう。 口説くというか、口説くというアプローチは2人になってからはほんの数十秒のことで、これは、もう明らかに女性が求めてる。一番若くて69歳という設定だがミッキーカーチス演じるダンディーで優しく女性の扱いが慣れていることで、余生のような暮らしをしていた高齢女性たちの性が再起動する。 住人女性の間ではそのことで確執が生まれるが、男性の光源氏ぶりに自らの性の再認識に目覚め、住人同士の恋愛にも発展する。 男性の陰茎は「猫の肉球のように温かくて柔らかくて気持ちいい」とも。ここには、男も女もないただ、お互いを生きた人間としていつくしむことそれが性行動の本質なのではないかと考えさせられる。 世界中の映画祭で上映されたこの作品。吉行和子と白川和子のキスシーンからの「私たちが昨日どんなイヤラシイことしたか誰も知らないでしょうね」のラストシーンで終わる。 こんな自由な性の意識ができるなら、犯罪など起きないかもと思う。

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映画の中で性犯罪がどうとらえられてきたのかを学ぶため、映画でどのように表現されているかということを知るとともに、その時代の性犯罪の受け止め方を考察しようと思って、今日はこの3本をみた。「純」と「ら」は様々なところで取り上げられている新旧の話題作、「痴漢電車~」は、女性の性を撮り続けている浜野佐知監督の作品である。 「純」では、ピンク映画でもないのに被害女性のほとんどが痴漢されて性的に反応しているよ

この映画では卑猥な言葉や性的な身体接触による様々な性的暴力が描かれている。 冒頭でまず出てくるのが、学校のシーンで男の子が女の子のお尻を後ろからわしづかみにするシーンがある。女の子はびっくりして振り返るが、すぐにボーイフレンドであることがわかると笑顔で応対する。 このシーンを見てどう感じるかということを想像すると、そこには性暴力の根源となるものが垣間見れるように思われる。このシーンをセクハラだと