本日は、実母の証人喚問から。被害弁償について、示談は成立していない。
両親から500万円の一時金と事件後、母親が働いて毎月3万円を弁償に充てている。今後、生きて働ける間は払い続けていきたいという。
証人は、被告人が6歳の時に前夫のDVが原因で離婚し再婚していて、再婚後、養父の実子とその母と5人で暮らしていた。
被告人に対して親としての指導はあまり行うことはなく、被告人は何か聞いても「大丈夫」が口癖で、口を出すことは少なかった。
被告人が中学校3年で中絶をして不登校になった際には、いいかげんにしろと強くいったことがあり関係はさらに溝ができた。
高校に入って、明るさが戻ってきたので安心していた。本人も夢を持てたようで夢に向かっている姿を応援したいと思っていた。
実母の証人喚問中、いままで身じろぎもなくまっすぐ前を見て動くことがなかった被告人が、証人の実母の方にじっと視線を向ける場面が多くみられた。
親しみを持った視線というよりは、なにか求めているような、期待しているようなまなざしだった。
被告人質問。元々母親とも親子関係が希薄であったが、養父の家族とも距離を感じていて、常に疎外感を感じていた。
そんな疎外感から逃避するため、自傷行為をすることがあった。手首や上腕、足などを傷つけたが、傷が治るのを見ていると心も治っていくのではないかという安心感があった。中学3年で妊娠したとき、その時付き合っていた男性には認知を拒否され、母親は産むなら生んでもいいといってくれたが産んでやっていけるか考えられず中絶することを選んだが、母は養父にも知らせず誰にも知られないようにしていた。ところが、病院にたまたま通っていたお母さんから看護師からそのことを知ったため学校で話が広まっていたが被告人本人はそのことは知らず、保健体育の授業で中絶の話があり、クラスで笑われたりすることがあり保健室登校するようになったが、保健室の先生もその話を知っていたため、みんなが自分の中絶のことを知っていると思うとショックで学校に行けなくなった。
高校にはいきたかったので、塾で勉強して高校に進学、親友ができたり、留学の夢も持つことができて明るさを取り戻していった。
被告人は事件当時、留学を目前にしていたこともあり、どうしても動画を消してほしいと被害者に迫ったが相手にしてもらえず、どうしてよいかわからず知り合い数人に電話するもらちが明かず(ここのあたりは本人は記憶がない)、キッチンから包丁を持ち出して胸に抱いて持っていたところ、携帯のSNSのフォロー通知があったので、とっさに動画が拡散されてしまったと思い込み(拡散の事実は発見されていない)、とっさにベッドに横になっていた被害者を持っていた包丁で腹部を刺した。刺されて被害者が「何がしたいんだ」と苦しみながら声をだし、被告人と被害者二人の手で包丁を抜き、被告人は被害者に対して「逃げて!」といった。被害者は玄関を飛び出した。被告人はドアを閉め、U字ロックをして部屋に閉じこもった。被害者は外の駐車場にでたところで自分で110番通報して病院に運ばれたがその後、心肺停止となり死亡した。
自傷行為が子供のころからあったという話は、この事件の問題に深くかかわっている可能性があると思う。裁判では自傷行為に使われていた刃物についてや、行為中の精神状態などについて深く調べることはされていなかったが、「傷がいえるのをみていると安らぐ」ということ以前に自分が消えてしまいたいという気持ちもあったのではないかと想像する。自分を殺したいと思う気持ちが、いざ自分が殺されるのではないかと思ったときに、相手を殺してしまうしかないという反応になったのではないか。(被告人は薬仲間から殺されるかもしれないという妄想もいだいていた)
いずれにしても、いまだに私として理解できないのは、なぜ、スマホを壊すでも、脅かすためにケガをさせるでもなく、一思いに刺してしまったのだろうかということにある。日常的に人を刺している人ならわかるが、初めて人を殺すのにそんなに確実に殺せるような危害を与えることはできるのだろうかということである。
被告人は、罪を認めて一生贖罪していくと覚悟しているが、客観的に見て凶暴な殺意のもとに刺殺したというよりは、精神的な極限状態において、もともとの自傷行為などによって意識を飛ばしていたであろうことと同じ状態になり、ほとんど意識のない状態での犯行ではないかと推察する。そうすると、心神耗弱の責任能力のない状態だったといってもよいのではないかとすら思うが、被害者は戻ってこないことから、被害者家族はいまだに示談にも応じず、謝罪文も受け取らないという。
しかしながら、殺人については犯した方が悪いが、このこととは別に殺された被害者が生前に被告人に与えた精神的苦痛は見逃すことはできない行為だと思うし、それについては殺されてしまったということで不問に付されてしまい、被害者家族もそのことについて考えることがないであろうことについては割り切れないものを感じてしまう。
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